行政と市民、両方の目線を大切に。 内部の活動人口を増やし、コミュニティをつくりたい。
- 職業
- 市役所職員
- Uターンルート
- 滋賀→静岡→京都→滋賀
- お名前
- 中土翔太さん
- URL
- 甲賀市
Uターンした後の働き方について、あなたはどのようなイメージを持っていますか。例えば、企業への就職、自営業、フリーランス。過去の経験を活かす人から、新しいチャレンジを行う人まで、様々なパターンが想定されます。
今回は、甲賀市の市役所職員の方にお話を伺うことができました。
公務員として働こうと思ったきっかけとは?なぜ滋賀県に帰ってきたのか?Uターンしたことにより気付いたまちへの思いとは?など、 今までの経緯とUターンを考えている方へのアドバイスをお伺いしてきました。
大学を卒業後、八つ橋メーカーから市役所職員へ。家を建てることをイメージして見えた、Uターンの道。
滋賀県湖南市出身の中土翔太さん。大学進学を機に、滋賀県を出て静岡県に行き、4人1部屋の寮生活を送っていました。寮の人数は男女合わせて400人。学生が治める「自治寮」の役員も経験しています。
関西での就職を希望し、新卒で京都の八つ橋メーカーに就職。3年経ったとき、ふと「滋賀県に帰りたい」と思い、Uターンに向けて動き出します。
Uターンをした具体的なきっかけは何だったのでしょうか?
地元が好きという理由もありますが、家を建てたいなと。京都で家を持とうとすると、マンションか、すごく狭い敷地に狭い家になってしまいます。自分が建てたい家をイメージしたら、地元に帰って建てようと。働き先が必要だということで、Uターンと転職準備を同時進行で進めました。
まずは大学職員を目指したものの、残念ながら不採用。偶然手にした雑誌に、市役所職員の採用試験は「法律系の内容」「一般教養と面接、小論文」など、各自治体により内容が異なることが書かれていました。働きながら試験勉強するにあたり「法律系の内容」まで手が回らないと思い、早速近隣自治体を調べたところ、条件をクリアしていたのは、甲賀市と守山市。
年齢制限まで数年の猶予があるため、まずは湖南市の隣である甲賀市を受験したところ、縁があり合格。大学進学と市町村合併の時期が重なっていたため、同じ旧甲賀郡としてひとまとまりのイメージが強かったこともあり、特に意識して決めたわけではありません。
民間企業で働く人や、フリーランスで働く人にとって、市役所の勤務形態はイメージしにくいものですが、実際のところはどうなのでしょう?
こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、過去の自分を含め、周りからはぬるい環境だと思われがちです。ただ、みんなが思っているほど、自分が思っていたほどぬるくはないですし、責任重大な仕事だなと。甲賀市でいえば、約9万1千人(※2018年2月末)の生活を握っているわけですから。
4年勤めた会社を辞め、甲賀市役所に入職し、2018年4月には6年目を迎える中土さん。5年間、税務課勤務が続いていましたが、希望の部署があるようです。
政策推進課、観光企画推進課ですね。サラリーマン時代には、土産物を販売していたこともありますし、市民活動としてまちづくりに関与することへの関心も強い方だと思います。理想は単なる2本立てではなく、行政と市民が絡み合ったまちづくり。
私がやりたいのは、市民活動寄りではありますが、行政サイドからの視点も知っておきたいなと。だから、一度経験させてください(笑)
家を建てたことで、まちづくり・コミュニティに対する関心がより一層増す
中土さんのUターン先は、実家のある湖南市ではあるものの、地域としては全く別の場所。さらに新興住宅地ではなく、いわゆる在所と呼ばれる場所を選びました。昔からのコミュニティに入り、まちの活動に参加することを楽しむ一方で、新しい目的型のコミュニティを欲するようになっていきます。例えば、住んでいる家でイベントを行い、友達を増やす「住み開き」に対する関心もそのひとつです。
まちづくり・コミュニティに対する関心の変化が起きた理由をお尋ねしました。
家を建てたことは、大きな変化のひとつですね。地に足をつけて、そしておそらく死ぬまでここに住み続けるという覚悟と意識が芽生えました。誰かに任せるのではなく、自分たちの手でまちをよくしていかなければいけないと。
本を読んで感銘を受けた言葉のひとつに「子どもは自分のふるさとを選べない」というものがあります。私の子どもにとっては石部がふるさと。いいふるさとになるのか、そうではないふるさとになるのかを決めるのは、親である自分たち。そう気付いたら、急にまちに対する責任を感じました。これは行政に勤めているということとは、関係なく。
賃貸ではなく、自分の家を造ったこと。覚悟と意識、そしてお子さんに対する思い。Uターンを機に、中土さんの暮らしがますます楽しい方向に変わっているような印象を受けました。
滋賀県を一回出たからこそ、見えたもの。行政目線と市民目線だからこそ、見えるもの。
高校生までずっと滋賀県で暮らしていた中土さん。愛着がないわけではないものの、大学進学を機に滋賀県を出たときには、Uターンについて全く考えていませんでした。
転機となったのは就職活動。「少しでも地元に近いほうがいい」「京都まで戻ってきたなら、地元に帰りたい」と、少しずつ滋賀県に対する愛着を感じ始めます。また、大学の寮生活では全国から集まってきた人たちと、様々な話をすることで、ふるさとを比較することができました。
滋賀県にUターン後は、仕事柄行政の目、市民の目の両方で、まちを見ているという中土さん。どんな風にこれからのまちづくりを考えているのか、お尋ねしました。
昭和の時代にできあがっているのが、行政目線のまちづくり。効率はいいですが、これからの時代、同じかたちで続けるのはおそらくとても難しい。「行政にも限りがある。したいことは、自分たちでやろう。行政と手を組みながらやっていこう」という意識の転換が必要だと思います。
人口自体が減っても、活動自体が増えていたら、きっと楽しいまちになります。外からの交流人口を増やすのも良いですが、それ以上に内部の活動人口を増やしたい。どうにかして私もいっちょかみしたいと思っています(笑)
2017年11月19日、湖南市にて開催された「未来湖南市政策コンテスト2017」。中土さんはチーム「OJISAN w/ JD(おじさんと女子大生)」代表として、政策を発表。市長特別賞を受賞しています。
中土さんのまちづくりへの意欲の高さが伺えますが、市役所職員である以上、異動先を自分で選ぶことはできません。この先、新しい試み、例えば政治家にチャレンジする可能性はありますか?
突っ込んできましたね(笑)市議会議員にならないと、自分がやりたいまちづくりができないとなれば、打って出なあかんときは来るかもしれません。自分の意思も必要ですが、周りも必要としてくれたら。そのときは選択肢のひとつとして前向きに検討したいと思っています。
滋賀県にUターンし、地域コミュニティに関わろうとする人に伝えておきたいこと
最後に、地域コミュニティへの関わりを目指す方に対して、伝えたいメッセージをお聞きしました。
実際、住めば都だと思います。私の親は住宅団地に家を建てたので、私が家を建てるときも、その方が良いとアドバイスをくれました。ただ、最終的に私が選んだのは、道を1本挟んだ隣は東海道という在所の中。6軒同時に分譲された土地ではありますが、その周りはみなさん古くから住んでいる方ばかりです。
性格もあるかもしれませんが、入ってみたらみなさん受け入れてくれます。意識の問題で、面倒くさいと思えば、すべて面倒くさいかもしれない。でも、代々続いてきたこと、例えば神社のお祭りに入れてもらえて、御輿を担がせてもらえる。これは非常にありがたいことだと思います。
地縁型の地域コミュニティに身を預けることで、住むことが楽しくなって、まちに対する責任感も芽生えてくるものです。コミュニティが面倒だから、団地に住もうという方もいるかもしれませんが、在所の中に家を建てることも、案外悪くないということはお伝えしたいですね(笑)
取材を終えての感想
「Uターン→起業」というイメージが強かったのですが、公務員という選択肢に至るきっかけを知ることができ、興味深かったです。行政と市民、両方の目線で「まちづくり」を見る、考えることができる立場の方は貴重ですね。それから異動の行方も気になります(笑)甲賀市の一住民として、中土さんが希望の部署に行けるように影ながら祈っております!
後日談:取材後最初の3月末。異動しなかったとの報告お受けいたしました。
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