自覚していなかった特技も 磨くことで、れっきとした武器になる。
- 職業
- ライター
- Uターンルート
- 滋賀→高知→滋賀
- お名前
- 松岡人代さん
- URL
- Hitoyo
ライターという仕事をご存知でしょうか。取材を行い、文面をわかりやすく、魅力的に伝える文章を書く職業です。映画のパンフレットや雑誌など、様々な場所に使われている文章。しかし文章を書くことで、しかも、滋賀県で独立してやっていけるのでしょうか?
実はいるんです、甲賀市に。フリーでライターとして独立し、仕事にしている方が。
しかも、滋賀県の色々なところから依頼され、生計を成り立たせているというのですから、地方でライターをしたい方にとって「こんな生き方をしたい!」という目標となるのではないでしょうか。
ライターとしてどうやって滋賀県で仕事を獲得したのか?なぜ、滋賀県に帰ってきたのか?今までの経緯をお伺いしてきました。
派遣社員の突然の打ち切り!それが滋賀を飛び出すきっかけでした。
滋賀県甲賀市出身。高知県に移住し、甲賀市にUターン。現在、ライターとして4年目を迎えた松岡人代さんですが、元々はライターとは縁もゆかりもない仕事に就いていました。
では、なぜ高知に行くことになったのか。その当時のことをお伺いしてみたところ、なかなかハードな状況だった様子。
「正社員での勤務経験がないまま、派遣社員として職を転々としていました。転機となったのは、2012年の夏です。年末までの契約のはずが突然夏で契約終了を告げられ、これから人生どうしよう!と。人生を考え直すため、高知県のウィークリーマンションを借り、1週間住むことにしました」
大学時代は岡山県に住んでいたため、何度も訪れていた高知県。しかし移住を決めたのは高知県の風土や人柄の心地よさ、当時高知駅前に常駐していた移住相談員の存在だったようです。
「高速バスに乗るまでの2時間、高知県に住みたい思いをたっぷり話しました。大阪での移住相談会や求人情報を教えてもらい、絶対に高知県に住む!と決めたんです」
その後、地域団体いなかパイプとの出会いを経て、U・Iターン向けのメルマガで見つけたJA四万十の正職員求人に応募。採用試験に合格し、2013年4月総務課・広報担当として新しい一歩を踏み出した松岡さん。
そこで初めて触れた一眼レフのカメラ。広報誌や日本農業新聞の記事作成、女性部の活動のお手伝いなど、何もかもが初めての経験だったようです。しかし、高知県での仕事内容は全く知らなかったそう。
条件は35歳まで、4月1日までに運転免許(AT限定可)を取得していること。仕事内容は農業協同組合の業務全般と書かれていたのみ。
「面接で、文章を書くことが好きなのでPRする仕事がしたいと言ったから、配属が決まったのかも(笑)。
今思い返すとそこで行った取材活動や広報誌の制作が今につながっています」
高知県での仕事を経て、価値観や考え方がどんどん変わって行く日々。とても楽しかったと笑顔で話してくれました。
事故と地域への思いをきっかけに、Uターン。
今も高知県が大好きだと語る松岡さんですが、高知県から滋賀県にUターンすることになった理由は思いがけないものでした。
「一番の理由は、運転中に追突事故に遭ったこと。むち打ちになり、自律神経の乱れからめまいなどの症状が現れるようになりました」
ネガティブな理由にも思えますが、Uターンを決めた理由はそれだけではありません。偶然出会った一人の女性に【生まれ育った場所で頑張る大切さ】を教わったと言います。
「それからもうひとつ、考えるきっかけになったのは、広報誌に掲載するためにJAに直接関係がない地域の行事にもたくさん取材に行ったこと。その中には、観光客を呼ぶためではない、地域伝統のお祭りもありました。中学生が踊りを復活させ、地域の人たちが眺めている姿を見て、自分の生まれ育った地域に愛着を持っている姿っていいなと思ったんです」
思うように動かない身体のこと。地域に対する様々な感情。そして出した結論は「滋賀に戻る」ことでした。
2014年10月1日、再び滋賀県へ戻った松岡さん。整形外科に通院しリハビリを続けながら次の仕事を考える日々が続きます。
高知からUターン、そしてライターとして独立へ。成り立つ為に行ったこと。
体調のこともあり、一般企業への再就職は難しい。でも働かないと。ぐるぐる回る思考の中、考えて出した結論が「ライター」だったのです。
「私の武器は、一応車が運転できること、文章を書くこと。そして、カメラ。もうこれしかないと思いました。
ラッキーだったのは、甲賀市内で開催されていたマルシェで、滋賀県のフリーペーパーを発行している会社の外部ライターをされている方と偶然出会えたこと。後任を探していると聞き、紹介してください!とお願いしました。
湖南市のコワーキングスペース 今プラスにも行ってみるといいよと教えてくださったのも、その方です」
コワーキングスペースとは、様々な年代、職業の方が勉強や仕事の作業を行い、コミュニケーションも取れるシェアスペースのことを指します。
湖南市にあったコワーキングスペース 今プラスへ行き自分の思いの丈やこれからのことをオーナーに伝え、それから1週間ほど経ったある日。
出会ったのは、ライターとしての新しい仕事。それが、Facebookのタイムラインに流れて来た、今プラスの【単発ライター募集】の文字でした。
「”工場のウェブサイト製作に使用する文章のインタビュー&文字起こしのライター募集”を見つけて、すぐに応募しました。専門知識は不要とのことでしたが、図書館に資料を借りに行き、基礎情報を頭に入れました。
当時何より不安だったのは、工場までの道のり。車で京都市内を運転したのは、このときが初めてです(笑)」
フリーランスで働くにあたり、最初の仕事をいかに早く掴むかという点は、とても重要です。Uターン直後にフリーペーパーの仕事、4ヵ月後にHP製作の仕事の契約と考えると、順調な方かもしれません。
しかし、生活費や税金の支払いを考えると、やはり不安は尽きなかったそうです。
単発のアルバイトをするためにWEB登録をし、ライターは兼業として続けようかと考えていた矢先、見知らぬ人からFacebookを通じて「滋賀県のライターを探している」と仕事の依頼が舞い込んできました。
そのタイミングがアルバイトのWEB登録をした翌日のこと!これは、ライターを続ける大きな転機だったといいます。
「当時、10万円を超えるまとまった依頼は初めてで、すごく嬉しかったですね。同時に、働いた分必ずお金がもらえるアルバイトを始めたら、私はどんどんそちらに流れてしまうだろうなと思いました。
このタイミングで新しいお仕事をいただいたのですから、もう少し頑張ろうと。例えクラウドソーシングの案件でも、書いたら書いただけお金になります。それなら2倍のスピードで書けばいいと腹を括った瞬間です」
目の前の仕事をひとつずつ丁寧にこなしたことで、今ではホームページ制作会社やフリーペーパー発行会社からのライター依頼など、様々な方・企業から依頼を請け負えるようになりました。
文章を外注する・依頼してもらう価値をどこまで追求し、信頼してもらえるか。
フリーランスが仕事を得る方法は、人それぞれです。一般的にはWEBサイトでPRする形が多いようですが、その方法にはあまり関心が向かなかった松岡さん。
なぜなら、松岡さん自身、滋賀県でライターとして働く=滋賀県のお客さんだけにこだわる必要がないと思っているとのこと。
滋賀県のフリーペーパーの仕事やHP製作に関するインタビュー・ライティングなど、地域に根ざした仕事も大切にしているとのことですが、中には東京の企業から連絡をいただき、音声データを元に原稿を書くといったケースも。ライター業に関しては、特に場所や相手にこだわる必要はないようです。
それよりも重要となるのが、来た仕事を「ただ文章を書くだけ」というところに収めないことだといいます。
「まずは次につなげるために、来た仕事は120点を目指して返すようにしていました。あとはひたすらコツコツと。
それに、私は自分の文章はメインではないと思っています。ポータルサイト、チラシ、雑誌という土台があって、初めて文章は意味を成すもの。だからこそ、文章を書けることをPRするよりも、コツコツ実績を増やし、それぞれの媒体に使えるための文章を書けるようになりたいですね」
この部分は、どんな仕事にも繋がることだと思います。滋賀県でこれからライターを目指したいという方にとっても、重要なキーワードであり、意識すべき内容ではないでしょうか。
自分が変われば、見える景色もきっと変わる。
一度高知へ出て、そして滋賀へ。
Uターンとは、どこか別の地域を経由し、また地元に戻ってくること。経由したことで、滋賀県への想いは変わってくるのでしょうか。
松岡さんは高知県に行くまでは「滋賀県=ただ住んでいる場所」だと思っていたそうで、改めて好き・嫌いで考えたことはなかったとのことでした。しかし、高知県に移住したことで、イメージに変化が生まれていきます。
「基本的に、私が行ったJA四万十さんは地元の人が就職する場所。入組前から「なぜわざわざ滋賀県から?」と、不思議がられていたようです。ちょうど地域おこし協力隊のドラマ「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」が放送されていたこともあり、ドラマの影響かと尋ねられたこともあります(笑)
滋賀県甲賀市から来ましたと話すと「忍者!くノ一!」と言われ、忍者ってこんなに有名なのかと驚きました。滋賀県の歴史を教えてもらったり、滋賀県で働いていた人から当時の話を聞いたりして、遠くから滋賀県を見たからこそ良い部分に気付くことができたのかなと」
そして滋賀県にUターン。地元に対する意識の変化に気付いたのは、コワーキングスペース 今プラスが甲西駅前に移転したときだといいます。
「今は、週2ペースで通っている今プラスですが、当時の私がこの建物を目にしても決して中に入らなかったはず。同じ場所でも、自分が変われば見える景色が変わります。高知県で色々な人に出会えたけれど、滋賀県にも色々な人がいて、面白い場所やお店がある。何もないところだというのは、私自身が探そうとしていなかったからなんでしょうね」
甲西駅は、派遣社員時代に通っていた会社の最寄り駅。Uターンを行い、職業が変わったことで、興味・関心の分野は大きく変わったようです。
最後に、松岡さんにこれまでのこと、これからのこと、そしてライターを目指す方に対して伝えたいメッセージをお聞きしました。
「私の場合、消極的理由からの独立・起業のため、大きな野望や夢はありません。そもそも仕事は、需要があり初めて成り立つもの。だからこそ、様々なニーズに対応できる人でありたいとの思いを抱き続けています。
それから、滋賀県でライターとして活動したい方に伝えたいのは、ライターとしての意識は大切だけど、最初からこだわり過ぎない方がいいということです。
特に最初の段階では、文章を書いて欲しいと頼まれることは、ほとんどないと思います。でも、得意分野ではなくても、相談に乗れるなら乗った方がいいですし、チャレンジしようと思うことはやった方がいいです。
私も、ショップカードやチラシの作成、イベントの裏方お手伝い、お店番など色々な相談を受け、時に四苦八苦しながら(笑)取り組んできました。その度に新しい人との出会いや発見があり、自分の幅が少しずつ広がっていることを感じます。経験は、決して無駄にはなりません」
取材を終えての感想
2015年1月に初めて今プラスで出会ってから、松岡さんとの付き合いも4年目に入りました。僕が思う一番大きな変化は「提案力」。最初の1、2年目は、仕事を依頼しても、松岡さんから何か提案されることはありませんでした。
3年目に入り「こういう言い方の方が、相手に伝わるのでは?」「この方法はどうですか?」と、言ってくれるようになり、本当にありがたい存在です。
これは、ただ文章を書くだけではない、ひとつのスキルだと思います。読み手のことを考えた上での提案スキル。今、本人が気付いていないだけで、さらにその部分を磨いていけば、文章を書く以外のところでアドバイスを欲しいと言われることもあるのではないでしょうか。
これからライターになりたい、滋賀県でライターとして生計を立てていきたいという方は松岡さんの最後のメッセージである「最初からこだわり過ぎない方がいい」という部分はとても重要かもしれません。
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