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U-TURN

美容師の思い×ブランディング。ものづくりをするなら「地元」がいい。

職業
本革職人
Uターンルート
滋賀→大阪→東京→滋賀
お名前
田中貴司さん
URL
BLINK LEATHER WORKS



今回お話をお伺いしたのは、美容師用シザーケースをはじめとした本革製品制作「BLINK」の田中貴司さんです。

元々は美容師だった田中さんが、本革職人になった理由とは?なぜ滋賀県に帰ってきたのか?田舎でものづくりをするために必要なこととは?など、今までの経緯とUターンを考えている方へのアドバイスをお伺いしてきました。

都会に憧れた中学生は、美容師を経て本革製作職人へ。


滋賀県大津市出身の田中さんは「都会の生活」に憧れる中学生でした。高校進学後「早く職に就きたい」「都会で暮らしたい」との思いが強くなり、1年で中退し、大阪の美容学校に入学。

最初は通学していたものの、片道2時間半かかることから断念し、一人暮らしを開始。美容学校に通いながら、美容室でアルバイトをする日々が始まりました。美容学校卒業後は、そのまま大阪で就職。田中さんが次に目指した場所は、東京でした。

滋賀県からすれば大阪も十分都会ですが、働いているうちにますます都会への憧れが強くなりました。19歳で上京して、美容師として東京で7年間。流行のファッションを身にまとう人が街にいたり、お客様として来てくださったり。街も昼夜問わず、活気がある。そういった面での刺激は大きかったですね。



ある程度仕事が充実してきたときに、この先どうするかを考えるようになりました。東京は変化のスピードがあまりに速い。その先を考えたときに思ったのは「ちょっと違う仕事をしてみるのはどうかな?」ということ。美容師という仕事しか経験してこなかったので、別の環境に身を置いたら、どういう心境の変化があるかなと思い、転職を決めました。

元々、ものづくりに興味があった田中さんは、革製品の製作の道に進みます。自分がやりたい方向性に近い場所を探し、東京から名古屋へ。約2年の間、革製品を製作したり、革の素材を扱う材料屋で働いたりと一通りの経験を積んだ後、頭に浮かんだのは「独立」の文字でした。

独立して新しいことを始めるなら「地元」がいい。


新しい環境で始めるという選択肢もある中、田中さんが選んだ場所は「地元」の滋賀県でした。

決定的な何かがあったわけではありません。ただ、ものづくりにおいて一番大切なことは環境。どういった環境で日々ものづくりをするのかを考えたときに、僕の中では、街中で色々な人がいる中でやるよりは、ものと向き合える環境でやった方がいいんじゃないかなと。

自分自身の中にしっかりしたものがなければ、どうしても流されてしまいます。一旦、周囲の騒音をなくすことで、ものと向き合えて、何か違うものが見えてくるんじゃないかと。



田中さんのものづくりメインは、美容師・理容師の方がはさみなどを収納するシザーケース。革製品を学び始めた頃は、財布や鞄といった日常アイテムがメインだったものの、まずは自分の身近な存在から始めることに。美容師時代、はさみはもちろん身につけるものもファッションの一部としてこだわっていた田中さんだからこその視点です。

豊かな自然に囲まれた場所に佇む「BLINK」は、誰からも賛成してもらえない状態からのスタートでした。最初は不安になることもあったものの、ブランディングや物語を意識し「自分自身が、しっかりと届ける」「発信する」ことを続けるうちに、少しずつ人の目に止まるように。

滋賀県内の人が来てくださることは想定していましたが、今は名古屋や大阪からわざわざ来てくださる美容師の方もいます。そういった面では、場所や距離は特に問題ではありませんでした。ブランディングという意味では、場所も後押ししてくれているのかなとも思います。



生計を立てられるようになった、3年目。東京で満足したからこその今。


地元でものづくりを目指す人にとって、やはり気になるのは「生計を立てていけるのか」という部分ではないでしょうか。最初は貯金を崩したり、借入をしたりしてつないでいたという田中さん。ひとつの目安となったのは、3年でした。

Uターン直後は、一定の方に対してはわかっていただいていましたが、生活という意味では全然できていない状態でした。ただ、僕自身が美容師を経験していたので、絶対に需要はある。その自信は揺らぎませんでしたね。

実際に生計が立つようになったのは、3年目。2017年4月には店舗をリニューアルしたことで、中に入って商品を見ていただける空間もできました。



都会に憧れ滋賀県を出た田中さんが、再度滋賀県に戻ってくるのは意外だと感じる人もいるかもしれません。しかし、心境の変化は東京で暮らす頃、すでに生まれつつありました。

滋賀県を出た16歳の頃は、田舎は不便だと思っていましたね。でも、東京で暮らしながら、帰省してきたときには、実家やその周りで自然やゆっくりした時間の流れを心地よく感じるようになっていました。20代半ばから後半くらいには「こういった暮らし、こういった環境に身を置くのも悪くないな」という気持ちがあったと思います。

それから、帰るところがあるという良さ。一人で東京にいると心細いこともあるけれど、実家で癒されて、また頑張れる自分もいました。それから少しずつ、また滋賀県で生活をしても面白いんじゃないかなと思うようになっていきました。


一度は見てみたい、暮らしたいと思っていた東京に実際に行き、生活したことで、満足できたという田中さん。満たされたからこそ次のステップを考えることができ、大阪・東京で得た知識や経験を今につなげることができているのでしょう。



滋賀県にUターン後、新しいことを始めたい人に伝えておきたいこと


最後に、田中さんにUターン後の起業を目指す方に、伝えたいメッセージをお聞きしました。

身近にも美容師を辞めて違う職業に就いている人は少なからずいます。まずは、やってみないとわかりませんよね。その上で、1年、2年、続けるということはすごく大事だと思います。

経験を積んでいくからこそ見える道がある。近道はありません。やっぱり根気よく行くしかないんじゃないかなと思います。



取材を終えての感想

お店の所在地は、大津と信楽の境目の山深い場所。「場所もブランディングのひとつ」という言葉が印象的でした。この環境だからこそ、素敵な商品が生まれるというのも納得です。そして「近道はありません」の一言にも、共感しました。始める勇気も必要ですが、持続することは同じくらい大切ですね。

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