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U-TURN

働く≠夢を叶えてキラキラすること。 やりたいこととか、よくわからんでもいいやん?

職業
ぶっちゃけーたー
Uターンルート
滋賀→神戸→東京→大阪→滋賀
お名前
北川雄士さん
URL
株式会社いろあわせ



今回私たちが訪れたのは、彦根市の町家、teminca(てみんか)。大学生から地域の人まで、様々な人が自由に集まり過ごす場所。2階の窓からは彦根城が見えました。

今回お話をお伺いしたのは、temincaの運営会社でもある「株式会社いろあわせ」の北川雄士さん。

彦根市出身の北川さんが滋賀県を出て、Uターンするまでの経緯。Uターンした今「働くこと」に積極的に関わっている理由をお尋ねしました。

更に今回の対談では、株式会社いろあわせが運営するしがと、しごと。でも別の切り口でコラム記事が掲載されております。

2つの切り口から見る今回の対談。ぜひ両方合わせてお楽しみください。

参考リンク:自分で選べたら、それでいい。居続けても外へ出ても、滋賀でおもしろいことはできる。(対談:『滋賀県Uターン物語』編集長 ×『しがと、しごと。』PJ代表)



やりたいことが見つからない大学時代を経て、広告代理店へ。



大学進学を機に県外へ出た後は、広告代理店に就職し、テレビCMを制作。2社目はIT関連のベンチャー企業へ就職し、人事部門を担当。そしてフリーランスになり、会社をつくりUターン。次々とやりたいことを見つけ、叶えている印象の北川さんですが、実は大学生の頃から目的意識を持っていたわけではありませんでした。

僕の大学生のイメージは、やりたいことがない奴の集まり。僕自身、悩みまくって2回休学して、大学6年行きました。バックパッカーになって海外行ったり、会社で1年間インターンシップやったり。「やりたいことが明確だから広告代理店に入社した!」と言えればかっこいいですけど、全く違います(笑)。

ただ、ふわっとしたものではありながらも「目の前の人をいかに笑顔にするか」「ワクワクをつくりたい」など、具体的なイメージはありました。それが広告の仕事に就きたいと思った理由です。


最先端の流行をつくるイメージが強かった広告業界。しかし入社後に気づいたのは、テレビ局との繋がりづくりなど、ビジネスモデル・お金を稼ぐ仕組み自体は古いということでした。もちろん、一生働くとすれば、安定した良い会社です。

しかし「いつかは、自分でやりたい」と独立意識があった北川さん。35歳で辞められるかと考えたときに浮かんだのは「多分無理」という言葉。周囲からのイメージや収入ダウンに悩み、一生サラリーマン続ける未来が浮かびました。そして、結婚する前に辞めようと27歳で退職。




起業のはずが、再びサラリーマン?人事部へ。


引き止められながらも退職した北川さんが次に足を運んだのは、学生時代にインターンとして働いていた会社。目的は、自分の会社をつくるために、社長に出資依頼のプレゼンをすること。しかし、そこで入社を勧められます。

当時のインターン経験が、社会人としての価値観の基礎をつくる良い経験のひとつになっていることは事実。社長への恩返しの意味で、入社を決めた北川さん。

どうせやるなら、経営に近い仕事をさせて欲しい。人は好きだから、人事はどうかと打診しました。そのとき、ちょうど人を増やして、会社を拡大する時期。これから人事部をつくると。これが、2006年の秋です。採用人数は、毎年3、40人。新人教育や管理者研修、制度づくりに勤しみ、気づけば7年半が経っていました。





転機となったのは、スピード重視で動いてきた会社がある程度熟成したこと。次の成長を目指すのであれば、より会社にコミットする必要に迫られます。一生戻れない覚悟を決め、これを自分の人生のビジネスにするのか。それとも、自分でやりたいとの思いや、地元への貢献。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に子どもが過ごす時間などをひっくるめて、Uターンするのか。

出した結論は、退職でした。しかし、すぐに滋賀県に帰ったとしても、仕事ができる自信はありません。退職後も引っ越しはせずに、1年半ほどは採用のコンサルや研修講師、大学に出向いて行う仕事など、フリーランスとして人事に携わりました。




フリーランスの時期を経て「株式会社いろあわせ」を立ち上げ


ある程度仕事の目処が立ったことを機に、彦根市にUターン。Uターンの2ヶ月前に「株式会社いろあわせ」は立ち上げていたものの、当初は仕事がありません。約半年間、月10万円くらいの交通費をかけて、週5で大阪へ働きに行く日々が続きます。


ちょっとずつ地元の接点をつくっていかなあかんなと思って動き出したのが、2016年ごろ。実は「しがトコ」の林くんは、元会社の同僚です。「誰か紹介して」から始まって、長浜や米原の企業とも繋がるようになりました。



Uターンして、中から滋賀県の会社を見た北川さんが感じたのは「理念や収益性やビジネスモデルもいい。でも、それが外に伝わっていない。僕ですら見えていないのに、学生が見えるわけがない」ということ。

発信するためのメディアの「しがトコはたらく」をバージョンアップさせる形で誕生したのが「しがと、しごと。」です。
参考リンク:しがと、しごと。〜滋賀ではたらく魅力を再発見!〜


2018年4月、個人事業から公共事業へと大きく収入面の舵を切る


2018年3月までのメイン事業は、北川さん個人のコンサルや面接、研修でしたが、2018年4月から、個人の仕事をほぼストップ。意図的に公共事業をとる方向へ舵を切りました。

そもそも僕がIT企業に踏み込まなかった理由は、会社のシステムを使って社会をどうしたいのかがイメージできなかったためです。自分の経験の範疇であるマーケティングや人事を、行政の問題、雇用の問題や移住の課題のプロジェクトベースで進めたいと考えました。


すでに動き出しているのは、1泊2日から1週間の間で、実際に1回来て体験してもらうつながる滋賀移住体験プラン。これは、人と地域と仕事、全部が繋がる体験です。拠点は滋賀県内のおよそ10カ所。なるべくマニアックな地元情報、地元の人とのつながりを持っている人たちとの協力の元動くプロジェクトです。

参考リンク:つながる滋賀移住体験プラン



去年、一部行政の仕事をしてアンケートを取ると、一番の心配点は圧倒的に仕事でした。仕事が面白くて収入がちゃんとあるところが見えないと人は不安になります。そして、もうひとつは人の繋がり。何かあった時、顔の見える相談できる人がいること。


安定して面白い仕事がある住みやすい地域なら、移住しない理由がありません。


やりたいこととか、よくわからんでもいいやん。


10年以上学生と接する中で、北川さんの肌感覚として、実際にやりたいことを見つけている学生は2割以下とのこと。「やりたいことを見つけなければいけない」という強迫観念が、魅力を削いでいる可能性が高いといいます。

しかし実際に、採用する側からすれば、与える仕事の内容は決まっています。「やりたいことは何ですか?」と尋ねる側は、やりたいことがあったのでしょうか?

おそらくないでしょう。だからこそ「俺もやりたいことなかった」と言ってあげてほしい。そして「やりたいことをやれるかは君次第。走っていくうちにやりたいことに変わるかも」「まずは与えられたことを一生懸命やることにエネルギーを使えよ」と言える滋賀の合同説明会をやりたいです。

何も盛らず、嘘もついていない。仕事もある。大変なこともあるけど、楽しいこともある。だって俺はやめてないじゃないかと。本当に嫌やったらやめていますよね。いる理由を聞いたら、絶対にネガティブじゃない理由がある。

そして僕は「働くとは、夢を叶えてキラキラすることだ」と言ってしまうのは嫌です。そのような切り取り方をしているメディアを見ると、8割は「私はそんなんじゃない」とテンションが下がります。


メディアに限らず、イベントも面接の場も同じ。「あんなんでいいねんで」とハードルを下げる役割も必要。いい意味で頑張らなくていい。等身大を大事にする。そういう意味では、滋賀県はいい意味で、頑張らずに頑張れる環境があるのではないでしょうか。




「滋賀で働く魅力」を見える化する未来


最後に、北川さんが描く3年後、5年後の未来について、お伺いしました。

「半年後は常にわからない人生を生きています」というのが正直なところですね。半年前は、これほど公共事業をとりにいこうとは思っていなかったので。

そもそも、僕一人ではできないことで、チームのイメージ自体も描けていなかった。ただ、仕事ベースで「いろあわせ」に携わってくれている人が、今、20人くらいいて、チームができたので。この延長戦上でいえば、どうなって行くかは全くわからないですよね。

今やっている「ローカルインターンキャンプ」や、できればやりたいと思っている滋賀の合同説明会や県の研修事業である「若者未来塾」の研修事業も含め、全てに共通しているのは「滋賀県で働くって、なんだか良さそう」「面白そう」「イケてる」「成長できそう」「成長や生活を含めて豊かそう」という世界観です。

参考リンク:
ローカルインターンキャンプ 日本の地方を、滋賀で見る。地方とあなたと向き合う4泊5日
滋賀の“三方よし”若者未来塾 滋賀の若者の可能性を、もっと、もっと。

東京など都市部へ行き、最先端に触れたい人を止めるつもりはありません。でも「滋賀でもいいのに」と思いながらも、選択肢がないと思っている人や、前向きに考えられない人に対しては、滋賀で働く魅力を提供できるのでは、と考えています。

Uターンも、ずっと滋賀を出ずに暮らすのも、結論として、僕はどちらでもいいと思っています。結局は本人次第。最後に決めるのは本人ですが、「滋賀県、なんかおもろいで」が見えるようにしたいです。



取材を終えての感想

経歴には「大企業、ベンチャー、Uターンして地元に貢献」と、キラキラした言葉が並んでいますが、実際にお話を伺い、イメージが大きく変わりました。「やりたいことがなければいけない」「キラキラ輝き続けなければいけない」などの強迫観念は、誰にとっても幸せではありません。いろあわせの社名のように、各自が自分の色で働ける、滋賀県であってほしいと思います。

Uターン物語ではありますが、学生さんも、ずっと滋賀に住んでいる人も、今県外に住んでいる人にも、届いてほしい言葉です。

取材場所:teminca – 彦根ではじまる小さな小さな第一歩

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