SHIGA
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U-TURN

ゼロイチをつくる楽しさ。 仲間と共に点と点をつなぎ、滋賀県全体を面白く!

職業
クリエイティブディレクター
Uターンルート
滋賀→東京→滋賀
お名前
牧貴士さん
URL
高縞企画



今回お話をお伺いしたのは、高島企画の牧貴士さん。彦根市の「VOID A PART」の共同代表でありながら、長浜市のプロジェクトや湖南市のNCL、FMおおつのパーソナリティなど、様々な分野に携わっている方です。さらに、新たな取り組みにも挑戦中。

ご自身を「企画屋」と言う牧さんに、今までの経緯とUターンを考えている方へのアドバイスをお伺いしてきました。




営業を経験後、起業を目指し退職!起業の目的は・・・?



大分県生まれの牧さん。京都暮らしを経て、小学1年生のときに滋賀県へ。中学1年生の時には、既に漠然と「起業する。社長になる」といった将来を描いていました。しかし、大学4年の11月までバスケを続けていたため、既に就職活動シーズンは終了。起業の内容が決まっていなかったことから、まずは勉強のために就職を選択することに。

当時使っていたHotmailを開いて最初に出てきた「グローバルで商材を扱うディストリビューター」のような文言に惹かれ、受けたのは光通信の採用試験です。入社後、滋賀を出て大阪へ。営業成績が良かったこともあり、半年後、東京へ異動を命じられ、管理職として部下を持つ立場になりました。




当時、牧さんは23歳。指導する難しさを感じたこと、当初の目的である営業の経験を積むことができたため、入社から10ヶ月で退職。しかし、起業の目的や内容は、この段階では全く決めていなかったといいます。

4月に東京に来て、8月に辞めるまで、朝から夜まで働いていたので、当時は友達もいません。使う時間がないので、貯金は200万ほどありましたね。人と会えばやりたいことが見つかるだろうと、人脈をつくるために交流会やセミナーにひたすら参加しました。1回の参加費は数千円程度。それでも、年末には貯金がなくなりました(笑)



そもそも、起業する前提での退職です。だからこそ、お金がなくなることを微塵も考えていなかった牧さん。来月の家賃が支払えないことに気付き、日雇いのアルバイトに登録。最低限の生活費を確保した上で、チャレンジを続けました。




やりたいことは、自分の中にある。人と会っても見つからない。


交流会に参加し、人と会えばやりたいことが見つかると思っていましたが、そんなことはありませんでした(笑)。自分を見つめ直すことが大事。私の場合、自信があったのは「バスケ」と「競馬で勝てたこと」。元手が不要なことと、当時は今よりもギャンブルとしての認知度が高かった競馬を家族で楽しめるレジャースポーツにしたいと思ったことを機に、競馬を軸に起業を決意しました。





【牧さんが起業の軸を決めるまで】

交流会やセミナーに参加

牧「初めまして。牧です。これから起業しようと思っています」
相手「なにで起業するんですか?」
牧「まだ決まっていません」
相手「そうですか。頑張ってください」
↓起業するには中身が必要!と気付く。競馬を軸に置くことを決める。
牧「初めまして。牧です。これから起業しようと思っています」
相手「なにで起業するんですか?」
牧「競馬で起業します」

競馬に興味がない人「そうですか。頑張ってください」
競馬に興味がある人「具体的になにをするんですか?」
↓具体的な内容が必要!と気付く

結果的にこの具体的な内容を考え、人に伝える。その結果、人を紹介して貰えるようになったことが重要だったといいます。






起業浪人3年。そして起業支援から、プレイヤーへ。



退職後、稼げるようになるまでに牧さんが費やした期間は、3年2ヶ月。しかし、起業前に時間をかけていたことで、ゼロからイチを作ることが得意になり、競馬雑誌の編集、会員制サイトの導入、フリーペーパー、ネットラジオと活動の場が広がります。さらに内容をブログで発信する中で、起業相談を受けるように。個別での起業支援・コンサルから、起業スクールへと変化します。

転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災。

子どもが生まれて半年経った頃でした。元々いつかは滋賀県に戻ろうとの気持ちがあり、Uターンを選びました。ただ、当時の生徒さんたちが卒業するまでは継続したかったので、2012年まで、2週間に1回は東京に行き、講義をしていましたね。




しかし、実際に起業スクールを開講した牧さんが気付いたのは「大多数の人が起業しない」という現実。


500名ほどの人と話しましたが、最終的に起業したのは4人くらい。ブログを書いて稼ぐ方法も、実際に行動に移した人は10%に満たないと思います。ただ、環境の変化を恐れるのは、人間の本能。よほど強い意志や覚悟がなければ起業に至らないのでは。


やりたいことができる世界、チャレンジできる世界にしたいとの思いを抱く牧さん。滋賀県にUターンした後も、起業支援をイメージしていたものの物理的な人数の限界と起業に至る人の少なさの現実から、考えを改めることに。

この段階で考えたのは「自分が世の中に影響力を与えられる存在になり、ビジョンや理念を伝えるほうが、自分が描いている未来に近づくのでは?」ということ。起業支援自体は継続しながら、自分がプレイヤーとして動くことを決めました。







滋賀県にUターン。京都・岐阜にて新たな経験と知識を得る。



Uターン後は、行動力のある人を探していたものの、タイミングが合わず、知り合いの会社を手伝いながら生活費を稼いでいた牧さん。仕事をしながら考えていたのは「何を始めるか」「せっかくやるなら、上手くいく方法をつくりたい」ということ。

上手くいかない理由を考えたところ、スケジュール管理、予算管理、モチベーション管理、まとめて言えば、プロジェクトマネジメントができていないケースが多いなと。例えば仲間同士で持っているスキルを出そうとしても、本業があります。時間が割けず、フェードアウトすることも多かった。でも、プロジェクトマネジメントのスキルを学べばもっと良くなるのでは、と思いました。


2014年、株式会社ロフトワークの求人を発見。社長に会い、入社の話が進みます。このタイミングで、岐阜県飛騨市と、林業と地域再生のコンサルティング会社である株式会社ヒダムシ、そしてロフトワークが、飛騨市の木材にクリエイティブな付加価値をつけていこうとするプロジェクトを開始。


1年間、岐阜県の飛騨地域の地域おこし協力隊として、会社立ち上げ前のリサーチや企画に携わりました。デジタルものづくりカフェ「FabCafe Hida」は、今も継続しています。永住しても良いと思うほど気に入りましたが、私は店長には向いていません(笑)。完成と同時に滋賀に戻り、ロフトワークでWEBディレクターとしてWEB制作やイベント設計に携わることに。






飛騨市から滋賀に戻ってきたタイミングで、出会ったのが周防さんでした。牧さんに持ちかけられた相談は「滋賀県を出るかどうか」ということ。


東京時代の経験からアドバイスだけでは人はなかなか行動しないことがわかっていたので、共同作業型の事業立ち上げを行いました。そして誕生したのが「VOID A PART」です。

周防さんは行動力に長けている人。私は裏方向きですから、立ち上げのサポートをすることで、バランスがとれます。実際にこのやり方を経験して、私自身も良いと感じましたね。各地域でいい関係性をつくり、新しい事業を立ち上げることが滋賀県を面白くすることにつながるのではないかと。





仲間と組むことで、点と点が線になる。未来を見据えた活動。


滋賀県に足りていないものは“プロデューサー視点”の人だと述べる、牧さん。個人レベルでやりたいことを見つけた人は多いものの、県全体、市町レベルでプロデュースする視点を持つ人は、滋賀県に限らず地方で不足しているといいます。

彦根市の「VOID A PART」、地域おこし協力隊の制度を使った、長浜市での5つの新しいプロジェクト。湖南市のNCL。東近江市での八百屋。長浜市でのゲストハウス。FMおおつのラジオパーソナリティなど、すでに形になり軌道に乗っているものから、動き始めたものまで、内容の幅広さに驚きます。

牧さんの活動内容は、これだけに留まりません。

地元で、近所の子供たちを集めて小学生だけで構成する株式会社を始めました。親世代は、それほどパソコンに触れているわけではありません。しかし、10年後、20年後、子どもたちが大人になったときには、今よりも確実にITの力、テクノロジーの力は発展しています。地方だからと多感な時期にパソコンに触れる機会が少ないのは、大いなる機会損失。検索の仕方、物事の考え方を実践形式で教えています。

現在の参加者は、小学5、6年生9人です。何らかの結果を出して、面白そうだと思ってもらうことで、学校全体に広がったり、中学生まで広がったりすれば、より楽しくなりそうだなと。




滋賀県にUターン後、まちづくりを始めたい人に伝えておきたいこと



最後に、牧さんに滋賀県にUターン後、まちづくりを始めたい方に対して、伝えたいメッセージをお聞きしました。


定期的に滋賀県に帰って来て、今、滋賀県にいる人と繋がっておくことは大切だと思います。結局、何をするにしてもやるのは人です。ただ東京から見ているのではなく、滋賀で活動している人たちの話を聞くこと。その上で足りない部分を東京などで学び、帰ってくると良いのではないでしょうか。仲良くなるだけで、今の滋賀県の情報が手に入りやすくなりますよね。

もっと言うと、東京にいながら滋賀での活動を始めることもできますよ。自分は東京にいながら、滋賀で何かをするにはどうすればいいか?誰かに頼むのか、自分が携わらなくても回る仕組みを作るのか。こうやって考えることでアイデアが生まれます。

いつかやろう、は絶対やらないですから。そして1人で考えると思考の癖があります。どれだけ違う環境、違う考え方を作る機会を増やすのか、これがアイデアを出すきっかけに影響すると思います。





取材を終えての感想

各地域の人と共に、様々な分野に携わっている牧さん。「どれひとつとして、自分1人でやっているわけではない」との言葉が印象的でした。また、今すぐには滋賀県に戻れないという人に向けた牧さんのアドバイス「県外にいながら、滋賀県に携わる方法を考える」は、実際にUターンする前に道筋を作るという意味でも、おすすめしたい行動です。

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