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U-TURN

選んだのは、かけあわせる働き方。 人をつなぎ、Uターンしやすい土台をつくる。

職業
コミュニティ・ディレクター
Uターンルート
滋賀→大分→東京→滋賀
お名前
深尾善弘さん
URL
一般社団法人滋賀人



滋賀をきっかけにした新たなつながりづくりや、滋賀をテーマにした活動に取り組んでいる団体があることをご存知でしょうか?その団体名は一般社団法人「滋賀人」です。

今回お話をお伺いしたのは「滋賀人」の共同創業者でありながら、複数の組織に所属して滋賀での働き方の実験をされている深尾善弘さん。

複数の働き方を選んだ理由とは?滋賀県にUターンする前にやっておくと良いこととは?といったことや、今までの経緯、さらにUターンを考えている方へのアドバイスをお伺いしてきました。




滋賀から大分、そして東京へ。でも、心惹かれたのはローカルな世界。


滋賀県内の高校を卒業後、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学に進学。1,100人規模の寮生活が始まりました。半数以上が外国人という環境の元、監督生、寮長を務めることを選択。最初のルームメイトは韓国人。さらに監督生になると、10カ国以上、50名の寮生を受け持つことに。海外の人と話すことで「自分はあまり滋賀県のことを知らない」「もうちょっと日本や地元のことを知らないと」との思いが生まれます。

大学時代、日本にいながら様々な国の人と知り合えたことが、本当によかったです。この間も、フィリピン出身の友人と東京で再会して色々な話をしました。世界中に仲間がいる状態。当時、周囲は商社やメーカーなど海外志向の人が多かったように思いますが、私はローカルに心惹かれ、東京にある農業関系の出版社に就職しました。





入社後は、農家研修のために岩手県花巻市へ。2012年5月、東日本大震災から約1年後のことです。しかし、地元の方に案内された沿岸部は、復興できているとは言い難い状況。現実を目の当たりにし、仕事のこと、そして、今の自分のことを考えるようになったといいます。

また、滋賀県に思いを寄せるきっかけになった出来事が、もうひとつありました。


私のルート営業の担当地域は、高知県と徳島県。最初の1年は、月に1回のペースで各地の農協さんを訪問していました。どちらも滋賀県に負けず劣らず、自然豊かな地域。車に乗って移動していると「お前の居場所は、こういうところちゃうん?東京じゃないよ」と、自分の心に訴えかけるものがありましたね。


入社から3、4年経ち、結婚や子育てをするならやっぱり滋賀県かな、と思い始めた深尾さん。そのときに目を向けたのは、移住・交流イベントでした。




“滋賀人”の原点は、東京で集合した、滋賀出身の若者たち。


全国組織でもある「滋賀県人会」の交流会は、良い方が集まると聞いていたので行きたかったのですが、当時の自分には敷居が高く感じられて…。最終的に私が参加したのは、東京で滋賀県出身の若者が集まるイベントでした。それから、3ヵ月に1回くらい、若手を集めての飲み会が開催されるようになったので、よく顔を出していました。

そうこうするうちに、出てきたのが、滋賀県が開催する移住イベントを手伝う話です。そのためには法人格が必要だったこと、同好会のままではマンネリ化やモチベーション低下に対応できない、そう考えた中心メンバー4人で立ち上げたのが「滋賀人」です。




2017年初頭に「滋賀人」を法人化。滋賀県にUターンしたのは、その直前、2016年10月。

直前まで農業系の出版社に勤めていたわけではありません。深尾さんは、移住やローカルメディアの企画・運営を行う企業へと転職していました。

ただし、これは「2、3年で滋賀に帰る」という話をした上での入社です。想像以上に早く、地元・近江八幡市の案件で声がかかり、渡りに船とばかりに滋賀県へ。


Uターン後は、当初の予定案件を半年間。その後、滋賀県の情報発信拠点「ここ滋賀」の準備や滋賀県内での調整などの仕事、近江八幡のまちづくり会社、そして滋賀人と三足のわらじ生活が続きます。


実は、東京での後半の働き方でも週の後半3日半という形を選択していました。週30時間働けば社会保険に加入できますから。(※平成28年10月1日以降、週20時間以上に改正)。

空いた時間に企業さんを回ったり、会いたい人に会いに行ったりできるのは大きな魅力。その分給料は下がりますが、リスクヘッジがきくので、滋賀県に戻ってからもひとつの組織に所属して週5日働こうという意識はありませんでした。



深尾さんの場合、人をつなぐ、一緒に何かをはじめるといった行動の根底に、“滋賀県”という共通テーマがあったことも、3つの組織に関わることができたポイントと言えるでしょう。






現在の滋賀での暮らしの元は、人との出会いと縁。


2016年、東京で出会った女性との遠距離恋愛を経て、取材日の週末に入籍した深尾さん。祖父母が住んでいた築120年を超える古民家を改築し、住む予定とのことです。

滋賀県にUターンするにあたり、自分でも探したり動いたりしましたが、運と人の紹介のおかげの部分も大きいと思っています。帰ってくるきっかけとなった仕事も、知り合いの方を通して、また別の知り合いの方を紹介してくださった形ですから。私自身に特別なスキルがあるからというよりも、ご縁で助けてもらっている部分が大きいですね。

だからこそ、人の繋がりを切り売りするようなことはしたくありません。繋げてくれた人に、今、自分がお返しできるのは、若さと行動力。そしてアイデアを形にすること。それから、自分が紹介してもらった縁を、今後は自分よりも若い人につなげていきたいです。




人の話を聞くことが好きなこともあり、普段から極力人に会うようにしているという深尾さん。その結果が、人と人とをつなぐ行動や紹介につながっていきます。つなぐための作法にも気を配っているからこそ、次の関係性を築くことができるのでしょう。

実際に、若者同士をつないだり世代を超えて人をつないだりしている人は、それほど多くありません。こういった動きがすぐにお金を生むことは難しいですが、仕事を通じ、紹介の役割を果たしたいとの強い思いをもとに、人と人をつなぐ場づくりに向けて動き出しています。


Uターン後、いわゆるサステナブルな社会を作るために頑張って行動されている方にたくさん出会いました。普通に生活していたら知る機会も、出会う機会もないかもしれない。でも、そういった人たちの存在をもっと知ってほしいとの思いは強いです。






県外流出を止めることよりも、帰ってきやすい土台づくりを目指して。


元々、深尾さんが持っていた滋賀県に対する印象は「田舎」「びわ湖」「お城が多い」「観光客が来る」といったものでした。中高生の段階では、なかなか滋賀県の魅力に気付くのは難しいかもしれません。

また、大学進学を希望する高校生の約8割が県外大学を選択しそのまま就職する、滋賀県内の大学に通う大学生の9割以上が県外就職を選んでいるといったデータもあり、現在、滋賀県としても若者が県外に流出しないための取り組みを進めています。
参考リンク:滋賀の自治体、若者に県内就職促す 学生目線の説明会


ただ、私個人としては、出て行ってもいいと思っています。その代わり、一旦出た後に帰ってきやすい仕組み、人づてで仕事が見つけやすい仕組みをつくる必要があるなと。

現代なら、県外に住みながら、外部からソーシャルなプログラムに関わることは可能です。もし、副業禁止であれば、働いた分をお肉やお米などの現物支給で渡す方法もありますよね。


すでに、ひとつずつ“やらない理由”を減らす取り組みが動き出しています。

さらに、もうひとつの考えは、中高大学生が滋賀県外に出る前に、滋賀県の魅力をインプットする機会を設けたいということ。

例えば、お小遣い稼ぎの入り口でもいい。ファーストフードでアルバイトする代わりに、観光客に対してガイドをするとか。自分の言葉で、自分のまちの魅力を語ることで、一体何が相手に響くのかを学んで欲しいです。高校の授業などと連携できれば、なお良いですよね。

循環させるためには、10年くらいかかると思います。でも、出て行った後に帰ってきやすい県は、きっと強いです。








滋賀県にUターンを考えている人に伝えておきたいこと



最後に、深尾さんにUターンを考えている方に対して、伝えたいメッセージをお聞きしました。

ぜひいっぺん喋りましょう。同じような(Uターンした)人たちと出会いましょう。会うことで良い影響を受けますし、自分もこういう暮らしができるのだとイメージが湧きます。アクションも、イベントへの参加もいいですが、どちらかといえば、私は人に会いましょうということを伝えたいですね。

会わないと、そのまま止まってしまいます。まずは、一度滋賀に帰ってきてください。私も、その方個人がどんなことをやりたいのか、とても興味があります。



取材を終えての感想

運と縁に恵まれたと言われていましたが、前提として深尾さん自身の行動(話を聞く、人に会うなど)が、しっかりあるからなのだと思います。また、いくつもの仕事を持つことのメリットについても、考えさせられました。Uターンを考えている方は、Uターン物語に掲載されている、面白い人たちにもぜひ直接会ってほしいです。

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