SHIGA
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Leather writer
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U-TURN

地元の“色”を残したい。 自己流×周囲との関係づくりが築くものづくり。

職業
革作家
Uターンルート
滋賀→京都→大阪→滋賀
お名前
町本卓也さん
URL
MATCH Leather Works



あなたの地元の色は、何色ですか?この問いに「朱色」と答えたのは、今回お話をお伺いした「MATCH Leather Works」の町本 卓也さん。

ここでの朱色とは、滋賀県の湖北・湖東地域の家屋に用いられることが多い“べんがら”の色です。

今回は、ものづくりを始めようと思ったきっかけやべんがらと関わることになった理由、さらにUターンを考えている方へのアドバイスについてお話を伺いました。




自分が納得しながら進みたい。自己流だから見えた道。


大学進学のために、滋賀県を出て京都へ。そして高校時代から演劇部に所属していた町本さんは、お芝居を続けるため、大阪へ。しかし芸事を続ける難しさもあり、一企業に就職。営業として働く中で、結婚、子どもの誕生、親の定年等の条件が重なり「大阪に居続ける意味はない」と、滋賀県にUターンを決めました。

そして、5年が経過。ただ、町本さんは最初からものづくりをしていたわけではありません。



最初は、就職して働いていました。革と出会ったきっかけは、妻の母です。革靴などをつくる人ということもあり「あんた器用そうだから、これで何かつくったら?」と、余った革をくれました。もともと、ものづくりは好きでしたね。大阪に住んでいた頃も、好きな服がなければ自分でつくろうと、着物をばらして反物にしてパンツをつくったり、和柄の鞄を作ったり。芝居で使う小道具も、手づくりでした。

人に習うことが苦手なので、自分で本を読んで研究したり、失敗しながらも自分でやってみたりして、納得しながら進むほうが好きですね。教えられるがままにどんどん進んでも、いざ何かあったときの対応ができません。過去の自分の経験や知識を元に「あの時のアレが活かせるのでは?」と自己流で組み立てていきます。



当初、町本さんが手がけていたのは染物の革でした。何も化粧を施していない革本来の状態に、赤色や青色などの色を入れるやり方です。

その方法が一転したきっかけは、ひとりの人との出会いにありました。





べんがらの朱は、地元の色。そして、長濱レザーが誕生。



長浜市を訪れた際に、日本家屋に使われている朱色を目にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。その朱色は、滋賀県の湖北・湖東地域の家屋に用いられることが多い“べんがら”。防水・防腐・防虫・防汚・耐光性といった特徴を持つ塗料です。

建築屋さんと出会い「べんがらを塗っている家は、今後、おそらくなくなるだろう」との話になりました。自分の家の周りをみると、柱も壁も全部朱色。でも、最近の家は洋風建築が多く、和風でも無垢材を使う傾向にあります。寂しいなと思いましたね。

べんがらの朱は、私にとって、地元の色。なんとかしてこの色を残すことができないかと考え始めました。




しかし、町本さんは建築屋ではありません。家屋に用いて残すことは、困難です。そこで、ひらめいたのは革細工に入れること。できるかどうか、確証は何ひとつない、まっさらな状態からの挑戦が始まりました。

まずは、革にべんがらが定着するかどうかを調べる、試し塗りからのスタート。周囲を朱色に染めてしまったり、定着したと思い使用していたところ、3日を過ぎたあたりでボロボロと剥げてしまい、鞄の中を染めてしまったりしたことも。

べんがらと水を混ぜて塗り、その後乾性油を塗って仕上げる方法から、柿渋にべんがらを溶いて塗る方法へと変更。その結果、柿渋の中に少量のべんがらの粉末を入れ、薄く重ね塗りする方法を見出しました。


一般的な革の塗装は、ムラがないですよね。でも、私はわざと刷毛のラインを出すようにしています。柱の木目が一本ずつ異なるようなイメージ。手間も時間もかかりますが、今も刷毛塗りを続けています。










ものづくり起業の気になるお金の話と、事業継続に必要なこと


地元にUターン、そして勤め人を経て起業した町本さんに、お金の話と将来性について聞いてみました。

開業届を出したのは、2017年8月。まだ軌道に乗っているとは言えない状態ですが、厳しいからと尻込みしていても仕方ないなと。田舎のいいところは、人情味のある人が多いこと。今も商工会の方に助けてもらっている部分も多いです。多分「自分一人でしなあかん」と思わないほうが、いいですね。



Uターンではあるものの、もともと市役所や商工会とのつながりがあったわけではありません。しかし、直接訪問したり、偶然相手が目を止めてくれたことを機に、声をかけてもらった縁を大切にしたりといった行動が、今の状況につながっているといえます。

ものづくりにおいて、もうひとつ大切なこと。それは、自らの情報発信です。SNSによる情報発信に加え、実際の活動の場に顔を出すこと。



私はつくり手の側ですから、作業場にこもって、ずっと机の前で仕事をすることになりがちです。それでは、顔を知ってもらう機会もなく「お前誰やねん」となる。作品を見てもらえる機会もなくなります。

私の場合、開業ノウハウもなかったので、勉強しようと創業塾に参加しました。それから商工会とつながり、長濱レザーを気に入ってもらい、プレスリリースという形で発表。さらに市役所の方に見ていただき、長浜市ふるさと納税の返礼品としても登録が決まりました。

それから、県内外のマルシェにも出店しています。やはり、見ていただかないことには始まりません。知らないものは、存在していないのと同じこと。悪あがきでも暴れていないと、消えてしまいますから。






県外に出たからこそ気付いた“滋賀県で、できること”。



現在、べんがらの朱を地元の色だと捉え、「MATCH Leather Works」として、べんがらを後世に伝え残す方法を見出した町本さんですが、子どものころの地元・滋賀県に対する印象は、あまり良いものとは言えませんでした。

遊ぶところがない、特に何か面白いものがあるわけでもない。昔は映画館があったけれど、それも無くなって娯楽がない。高校生の頃は演劇部に所属していましたが、お芝居をする場所もなければ、ここでしても一体誰が見に来るんだと思っていました。


京都の大学卒業後も「滋賀県でお芝居ができるわけがない」との思いは変わらず、大阪でお芝居をする道を選んだといいます。しかし、実際に滋賀県にUターンした今、滋賀県に対する印象は大きく変化していました。

今は、面白いものばっかりやんって思います。べんがらも含め、独特の雰囲気がありますね。それから面白い人も多い。自分がちゃんと土地を見ていなかっただけやなと。ちゃんと見ると面白い。車に乗っていたら、周りの景色の良さもわからないけれど、歩いていたら「この花可愛い」と、細かな部分にも目が行くのと一緒。

ただ、やっぱり外に出たからわかることは大きいですね。

例えばお芝居であっても、潰れた小屋を改装してやればいいというだけの話。やる側と見る側がいれば成立します。商売も同じ。売る側と買う側が入れば成立する。東京と滋賀県で言えば、人数やメディアの数が違うだけで、多分、比率は一緒でしょう。そう考えると、私の考えていることも滋賀県で実行可能だと思っています。





「つくっているものに関しては、絶対的な自信がある」と語る町本さん。いろいろな人に協力してもらうこと、そして、一方的ではなく自分もお返しができるような関係を築いていくことが、発信力強化への道筋といいます。


現在は祖父母が住んでいた離れをDIYし、自宅兼工房としていますが、2018年度中には、長浜市の中心地域にアトリエをつくる予定です。「MATCH Leather Works」の公式HPやSNSにて、随時情報を発信していますので、ぜひご覧ください。





滋賀県にUターン後、ものづくりを始めたい人に伝えておきたいこと



最後に、Uターン後、ものづくりを始めたい方に対して、伝えたいメッセージをお聞きしました。


滋賀県とひとことで言っても、地域によって異なるとは思いますが、もし、田舎に帰ってこられるのであれば、自分の顔と名前を売るほうがいいです。田舎の人間は警戒心が強いことが多いですが「あの兄ちゃん、なんか謎やったけど、喋ってみたらええ奴やん」となると、協力が得られやすいです。

それから、市や商工会さん、民間さんも、創業塾など起業、開業の手助けとなる講義やプログラムを開催してくれていますので、自分で調べて、色々顔を出してつながりを得るといいかなと。個人で何かを始めるにしても、ひとりの力では限界があります。

なるべく顔と名前を出すようにすると、声をかけていただく機会も増えますし、外の世界での広がりもできていきますから。

一番しなくていいと思うのは“ビビって何もしない”ということですね。こんなんしたら怒られるんちゃうかなって思っている時間は無駄です。何もしないよりは怒られたほうがまだマシ。そういう気持ちで、チャレンジして欲しいですね。




取材を終えての感想

「作業場(自分のスペース)にこもってしまわない」というのは、他の職種にも言えること。どうしていいかわからない時こそ、外に出よう!と思いました。アトリエが誕生した暁には、ぜひ長浜観光を兼ねて遊びに行ってみてください。革の厚みの違いやまるで木目のような美しい模様を、実際に確認していただきたいです。

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