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U-TURN

いろんなコトを、ジブンゴトに。 ジブンゴト&負担がないコトが継続的な活性化に繋がる。

職業
野洲市議会議員
Uターンルート
滋賀→大阪→滋賀→千葉→滋賀
お名前
田中陽介さん
URL
田中陽介とマツリゴトするなかまたち



滋賀県内のマルシェのパイオニア的な存在とも言える満月マルシェの主催メンバーとして。野洲市議会議員として。さらにそのほかにも様々な活動をされている田中陽介さん。

今回はご自宅にお伺いし、どうして政治家の道へ?満月マルシェを始めたきっかけは?滋賀県にUターンした理由は?など、今までの経緯とUターンを考えている方へのアドバイスをお尋ねしてきました。


様々な経験を積んだ後に踏み出したのは、自然栽培の道。



滋賀県内の高校を卒業後、自宅から通える距離にある大学へと進学した田中さん。就職を機に、滋賀県を離れて大阪へ。そして、半年後退職。次に就職したのは、レゲエの音楽レーベルでした。

社長と社員1人の小規模な会社でしたが、大学の頃からレゲエが好きだったこともあり、働かせてくださいとお願いしました。退職したのは、1年後。そのキッカケになったのが「なにか自分でも独立してやりたい!」という芽生えた思いでした。




しかし田中さんは24歳になる前に、一度滋賀県へとUターン。食べることが好きとの思いから、農業に関心を抱きます。しかし、父親が関係する営農組合の書類を見た際に、補助金頼みの部分が多いことに衝撃を受けました。



それが悪いわけではありませんが、個人的には、つくっているものに付加価値がなく面白みがないなと。そこで思ったのが、農業で一番とんがっているのは何だろう?ということ。そして、自然栽培や「奇跡のりんご」の木村さんの情報を得ました。

肥料も農薬も使わずにうまいものができて、しかも高く売れるのが自然栽培?そんな夢のようなことができるのか?と思いましたね。実際に現地に見学にも行きました。




しかし、いくらつくったとしても売り先がなければ次に繋がりません。そこで田中さんがとった行動は、自然栽培の作物流通の最大手である株式会社ナチュラル・ハーモニーに電話をかけ、働かせて欲しいと頼むこと。再び滋賀県を出て、千葉県にある流注センターへ。

様々な人との出会いを経て感じたのは“一般消費者が購入するには高すぎる”ということ。そして“生産者にも利益が出て、なおかつ一般消費者が購入できる価格でなければ、普及は難しい”ということでした。



「無農薬」で検索。滋賀県で同志を見つけていく。


滋賀県で自然栽培の作物を流通させたいと、再び滋賀県にUターンした田中さん。「無農薬」などのキーワードをネット検索し、無農薬・有機野菜を取り扱う店「ほんまもん市」を発見。早速店舗を訪れたところ、生産者仲間との繋がりが生まれていきました。

参考リンク:ほんまもん市


しかし、一般的に農業をするためには、機械や道具を揃える初期費用も必要です。

私はアルバイトをしていましたが、まさに、お金も道具もない状態。

そこで地元の営農組合に、次の内容を前提としたプレゼンを行いました。

・私に田んぼを任せてほしい
・今までの慣行農法でつくった場合と同じだけの金額を支払う
・つくったお米は全量買い取り、自分で売るので迷惑をかけない


最新の機械を使える状態をつくり、現在も継続中です。湖南市の北島酒造さんとのご縁でお酒も造れることになりました。10月に販売開始の予定です。ラベルはデザイナーのAMATAさんをお酒で釣りましたw


参考リンク:AMATA



自ら色々動いたことで、自然と縁が繋がってきたという田中さん。例えば流通を始めようと滋賀県にUターンしたところ、農業に携わることに。トラクターに乗りながらラジオを聴いていたところ、近江八幡のワンデーシェフ募集の情報を得ることができ、また新たな縁が生まれるなど、自然な流れができていることがわかります。




1歳上の先輩と“面白いことやろう”と、始めたのが満月マルシェの原点


2回目のUターンから5年ほど経ったある日、田中さんは風の噂で「変わったことをしている人がいる」と知ることになります。その人こそが、満月マルシェのメイン主催者であるちゃたさんでした。

田中さんとちゃたさんは、1歳違いで幼稚園から高校まで一緒。高校時代は同じバスケ部に所属。大学のキャンパスは違うものの、大学も同じといった共通点がありました。

10年ぶりに再会し、お互いが「地域で面白いことがしたい」と思っていることがわかり、早速動き出しましたね。「マルシェみたいなことをやろう」と、彼の庭で始めたイベントが、満月マルシェの原点です。

本当に知り合いだけが集まる、いわば身内のおままごと。物々交換。発表会。そんなノリで、始まった月に1回のイベントでしたが、友達が友達を呼び、大盛況に。確か4〜5回開催した段階で、借りていた近くの産直の駐車場が満車になり、使用できなくなる事態が起きました。




会場と駐車場の問題が発生したものの、マイアミ浜オートキャンプ場で開催されていたイベントに、田中さんが出店したことで、転機が訪れることに。現状を話し、会場としての使用を打診したところ、快く了解して貰えたため問題は解決。現在も、満月マルシェの会場として継続中です。


滋賀県内のマルシェのパイオニア的な存在とも言える、満月マルシェ。当初「全員が知り合い」という段階から始まっているため、細かなルールを決めすぎず“みんながうまく回るように、お互いが考えてやっていこう”との共通認識があるといいます。

常連の人が、新しい人に教える。助け合いながら回る雰囲気の良さは、満月マルシェならではと言えるでしょう。

参考リンク:満月マルシェ




政治の世界へ入り、悩んだ末に見つけたのは“やりたいようにやる”こと。



現在、野洲市議会議員の立場でもある田中陽介さんですが、昔から政治に関心があったわけではありません。最初のきっかけは、2013年、参議院選挙に立候補した三宅洋平氏の選挙フェスでした。

無農薬栽培や音楽の仲間たちの中には、彼を支援する人が多く、話を聞く中で“自分たちのコミュニティの中で楽しく過ごせればいいと思っていた。でも、それだけでは厳しい”と気付かされたといいます。


三宅洋平氏を支持するというよりは、自分らがやらなあかんねんと思いましたね。それで2013年に「野洲市議会議員選挙に出るわ」と親父に言いました。返事は「アホか」と(笑)。まぁ、家族も説得できないようなら、誰も説得できませんよね。

そこで、4年間自分の動きを見てくれ。4年後もう一回言うから、と伝えて、それからは基本的に自分がやりたいこと、興味関心があること、例えば暮らしと政治関係、お母さんたちとの繋がりを持つこと、放射能の測定、農業、飲食など、積極的に関わってきました。




そして、2017年野洲市議会議員選挙に出馬。結果は1,831票を獲得し、トップ当選。田中さんは“誰がやっても同じ。何も変わらない”といったイメージをどう変えるのかといった点にも、重きを置いていました。


私が依頼したのは、選挙デザイナーではなく商業デザイナー。今の選挙にある枠の中だけで考えるのは、面白くないなと。例えばアーティストに選挙看板を書いてもらって、自分の名前は小さく書くとか、顔写真ではないものを載せるとか、面白いと思うことをやってみました。



ここからも、単にふざけた面白さではない“面白さ”に共感してくれた人が、大都市ではない滋賀県にいた、野洲市にいたという事実がわかります。

様々な職種にチャレンジしてきた田中さんですが、政治家は初めてのジャンルです。実際に議員となって感じるギャップについても、お尋ねしてみました。

政治家は、常に次の選挙を意識して動いていると感じました。政治家を職業として捉えるならば、当たり前かもしれませんが、私は違います。そもそも、私の目的は、政治家のポジションを守ることではありません。

もちろん“継続しなければやりたいことが実現できない”との意見には、一理あると思いますが、個人的にはあまり意識しすぎるのも違うかなと。

最初の数ヶ月は、自分のポジションや人からの評価に悩んだ時期もありました。でも、今はもういいわと思っています。私に投票してくれた方、約1,800人の方々には、それぞれ異なる思いがあるでしょう。

私自身は“やりたいようにやってよ”と頼まれたと思っています。話を聞いた上で、私のフィルターを通し自分がやりたいようにやります。違うと言われたら、もう、それはそれ。今は、議会や地方政治に関する理想も持っていますが、まだアプローチはできていません。勉強しながら、少しずつ実現に向けて動いていきたいです。






負担のない活性化、継続的な活性化。


田中さん自身、元々、それほど地元意識が強いわけではありませんでした。長男で実家があることを、有効活用しようと思う中で、どうすれば自分が楽しく生きていくことができるのか。その方法を模索したことが、今に繋がっているといえます。

地域活性化、地元活性化を目指す気持ちはよくわかります。でも、賑わいを取り戻して喜ぶのは誰なのか。その部分を見失ってしまえば、しんどいだけです。集落の人間が楽しければ、自然と自分の友達を呼びます。これが魅力であり、無理がないのでは?

満月マルシェの広がりも同じです。同調する人が現れて、各々が出展者やお客さんを呼ぶ。そしてSNSだけで、広がっていった。盛り上げるのではなく、自分たちが盛り上がっていれば、自然と周りが盛り上がっていく。これが継続できている理由です。


さらに“グローバルも大事。でも、ある程度ローカルで完結できることも大事”との言葉は、まさにマルシェに当てはまる内容でした。




滋賀県にUターン後、何かを始めたい人に伝えておきたいこと


最後に田中さんに、滋賀県へのUターンを目指す人へ伝えたいメッセージをお聞きしました。

私の感覚としては、自分の心の中に湧いてきたことに従って動いていれば、勝手に縁がつながるというのがありますね。

私自身が「感覚でなんとかなるやろ」と思ってやっていたら、なんとかなったタイプなので。よく言うじゃないですか、準備が整ってからやろうとしたら、いつまで経ってもできひんって。

やりたかったら、やる。ただそれだけ。とりあえず帰ってきて、始めてみることが大事だと思います。




取材を終えての感想

農業、マルシェ主催者、市議会議員…等、言葉で羅列すると、一体何をしている人?となるかもしれませんが、全て私たちの生活に関わっていることばかり。“盛り上げるのではなく、自分たちが盛り上がる”というのは、活性化だけでなく、色々な分野において重要なことのように思います。そして、久しぶりに満月マルシェに行きたくなりました!

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