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Web Designer
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U-TURN

やりきったからこそ次が見えた。音楽からWebデザイナーへの転換。

職業
Webデザイナー
Uターンルート
滋賀→大阪→滋賀
お名前
藤田篤さん
URL
宮クリエイション



今回お話をお伺いしたのは、宮クリエイションの藤田篤さん。甲賀市甲南町宮地区の宮ベリー近くにある大自然の中で撮影を行った後、室内に移動してインタビューを行いました。

滋賀県を出たきっかけや、Uターンした理由。Webデザイナーとして独立したきっかけから、Uターンするにあたり必要なことまで、盛りだくさんの内容です。


田舎を脱出したい!音楽の道を志して、滋賀から大阪へ。


小学校まで歩いて数十分、中学校まで自転車で数十分、進学先の高校までは、自転車で1時間。藤田さんいわく“ド田舎”の町。田舎から脱出したいと考えていた藤田さんが選んだのは、大阪にある大学への進学でした。

行けるところを探して・・・という感じで、特に受験勉強もせず(笑)田舎を脱出したい気持ちが高まったのは、高校時代にやっていた音楽活動の影響も大きいですね。文化祭でライブとかをやって、勘違いして、これで行くぞって。


大学卒業後は、音楽を続けるのか就職するかで悩んだ時期もあったといいます。最終的に選んだのは、音楽の道。融通の利く仕事をしながら音楽活動を続け、30歳手前には、ヒップホップ界にて、ある程度名が売れる存在になっていました。



30歳を目前にした藤田さんが考えたのは、将来のこと。


30ぐらいからは、食えるようにしっかりお金も稼がないと、という年代ですよね。それまで音楽1本でなんとか食いつないだりしていましたが、厳しい面も見えてきたり。それから、10数年ずっと音楽を続けて、いろいろなことをやってきたので、やりきった感もありましたね。

中途半端で終わったら、次も中途半端になっちゃうじゃないですか。でもやりきったら、そのあと地元に帰っても、次のことができるかなと。当時、帰るつもりはありませんでしたが、そんなことも頭をよぎりました。





職業訓練を経て、Webデザイナーの道へ。大阪の制作会社で正社員に。


音楽の世界から離れた藤田さんが見つけたのは、Webデザイナーの職業訓練。一見、全く別ジャンルのように思えますが、音楽をやりながら、インディーズレーベルを運営し、音楽のソフトを触っていたため、パソコンに触れる機会は多かったといいます。


レーベルを含めて色々自分でやっていたので、音楽を離れても行けるかなと。お客さんと喋ったり、話を聞いてプロデュースしたりしていたのでリンクする部分も多いなと思い、3ヶ月間、大阪で勉強しました。


頭をよぎったのは、滋賀県にある実家のことでした。“もしかすると、いつか帰ることになるかもしれない“”パソコンとネットがあればできる仕事。WEBデザイナーは、田舎に帰ってもできる“との思い。

まずは、大阪にあるホームページ制作会社に正社員として入社した藤田さん。これが、31、2の頃。ホームページをつくる上での基盤を、働きながら学んでいきました。

実はその会社がいわゆるブラック企業(笑)でも、そういうところだから受かったんやろなと。30過ぎの未経験でしたからね。でも、音楽活動をしていた時期にもいろいろなことをやっていたので、いくつもの役割をこなすことは苦ではありません。

入社した会社に営業マンはいましたが、自分が案件を得たら、打ち合わせをしてデザインを作って、CMSのコーディング、SEO対策、納品と、全部自分でやる仕組み。その後のサポートまで担当していました。







滋賀県にUターン。用意周到な準備と、戻ってきてからの行動力。



藤田さんが滋賀を出た理由は、田舎が嫌で、音楽で勝負したかったということ。

しかし、Uターンを決めた理由はひとつではなく、いろいろな思いが組み合わさっているといいます。そのうちのいくつかをご紹介しておきましょう。

・音楽を辞めて携わったWEBの仕事。やってみたら意外と向いていることに気付いた。
・就職先がブラック企業で、ずっと勤めたいと感じる場所ではなかった。
・自分は田舎の長男。好き勝手やってきたから、1回は家族と向き合っておこうと思った。
・都会にもそろそろ飽きてきた
・実務経験1年半。独立して大阪に残ったとしてもやっていけるか未知数。でも、滋賀ならいけるかも。

さらに、Uターン前には用意周到に準備をしていた藤田さん。これは、これからUターンをする人にとっても、参考になるのではないでしょうか。


前の会社を退職する前に、下請けの仕事が流れるように仕組みを作りました。下請けですから、金額としては決して高くはありませんが、実家に住むのであれば、大丈夫。

帰ってきて何もなかったらヤバいじゃないですか。また県外に出るのか、他の仕事をするのかという話になってしまう。それも遠回りになるので、翌月からやりたい仕事がある体制を作った上で戻ってきました。




仕組みをつくっていたことが幸いし、生活に困るといった事態は起きませんでした。仕事をしながら、地元の同級生とバーベキューをしたり、川で遊んだり、田舎を満喫する日々。

Uターンして3、4ヶ月後“大阪の下請けの仕事も、ずっとあるわけではない。地元でも仕事を獲得していこう”と考えた藤田さん。「滋賀 ホームページ制作」の言葉で検索し、出てきた上位30社に営業メールを送りました。3、4社から返事を貰い、営業を兼ねて訪問して、仕事を得たことも。

そのうちの一社が、ジャパニーズ株式会社。コワーキングスペース今プラスを運営している龍馬くん。当時、彼がコワーキングスペースを立ち上げたタイミングだったこともあり、入り浸るようになって(笑)

今のメインの仕事は、ホームページ制作です。あとはグラフィックデザインやインターネット広告の運営などもやっています。





現在の仕事に加え、新たな取り組みを視野に入れて動き続ける。



WEBデザイナーとして、そしてフリーランスとして順調に経営を続けている藤田さん。“地元を盛り上げたい”との気持ちを持って帰ってきたこともあり、地元・宮地区のサイトに、甲賀市土山町の清流のサイトも作成しました。

参考リンク:
滋賀の宮村 ローカルサイト
甲賀市土山の清流・BBQマップ|甲賀市(秘)川遊びスポット

また、週1で「Hood Curry」としてカレー屋を始めるなど、やりたいと思っていたことに次々とチャレンジ中です。

参考リンク:Hood Curry

他にも実際にUターンされる時にアイデアとして考えていたこと。そしてアイデアを形にするための考え方の変化もお伺いしてみました。



Uターンしてやりたいと思ってたことの一つに田舎の空き家を使ったシェアハウス、ゲストハウスがあります。例えば忍者を絡ませた何かとか。若い子が集まるスポットや事務所兼シェアハウスもいいですよね。

ただ、田舎は横の繋がりがとても強い場所。良い風にはたらくこともありますが、昔からこの地域にある藤田家の長男としては、あまり変なことはできないなとの思いも感じます。やるならがっつり本気でやらないと。中途半端にはできないので、一歩目の難しさはありますね。


また、昔、一緒に音楽をやっていた人たちとも、新たな形でWebやフリーペーパー作成や広告販売といった形で関わる機会が増えたとのこと。旅行も好きだという藤田さん。これから、いろいろな場所に行く機会も増えそうです。



滋賀県にUターン後、WEBデザイナーを始めたい人に伝えておきたいこと


最後に、藤田さんにUターンを目指す方に対して伝えたいメッセージをお聞きしました。


僕の場合は音楽活動も含め、いろいろな人と出会い、コミュニケーションをとってきたので、これがひとつの売りでもあります。今、独立して5年経ちました。現時点でも仕事の多くは人と人との繋がりから生まれています。良い仕事をしてお金をいただくことは最低条件として、さらに数ある業者から何で選ぶかといえば、人柄とか相性。これは自分の中でとても大切にしています。

あとは、自分が住んでいる地域のデザイン・ビジネスコミュニティに積極的に参加すること。僕が今プラスに行ったのもそうですが、とりあえずできることを全部しようと思っています。そういったことをひとつずつやってきたので、今があるのかなと。

事前準備と、当たり前のことですができることから行動していくことが大事ではないでしょうか。




取材を終えての感想

普段、私自身(松岡)今プラスにてお会いすることも多いですが、お話を聞いたのは初めてです。一番驚いたのは、用意周到な準備とその営業力!一見全く違うジャンルのように思えても、過去に得た経験や力は、時を経て役に立つことがあると勇気付けられました。

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