祭りの賑わいを取り戻したい。 西浅井メンバーと結成した「ONE SLASH」が描く地域。
- 職業
- ONE SLASH 代表
- Uターンルート
- 滋賀→カナダ→滋賀
- お名前
- 清水広行さん
- URL
- ONE SLASH
真ん中にびわ湖がある滋賀県は、湖東・湖西・湖南・湖北と、様々な文化や地域性のある県です。今回お話をお伺いしたのは、長浜市西浅井町に暮らし「ONE SLASH」として活動を続ける清水広行さん。メンバー全員が西浅井出身ということもあり、地元への思いとメンバーの個性がかけ合わさり、次々に新しい企画を生み出しています。
滋賀県に戻ってきたきっかけや、現在の活動内容、さらにUターンする上で必要なことについて、たっぷりお話を聞いてきました。
10歳から始めたスノーボード。目指したのはプロの道。
10歳からスノーボードを始めた清水さん。当時から目指していたのは、プロ選手への道でした。高校2年のとき、プロの人が経営している店で薦められたのは「高校を辞めてニュージーランドに行く」こと。
さすがに辞めるのはヤバいやろと(笑)。すると「北海道に住み込みで行くお客さんがいるから、一緒に連れて行ってもらえ」と引き合わせてくださり、その人の車でフェリーに乗って北海道に行きました。これが、高校2年の3学期のこと。ちなみに1年間の2/3という出席日数はクリアしていましたし、学期末テストの前には帰ってきてテストを受けたので、進級もしています。
高校卒業後は、アルバイトをしながらスノーボード漬けの生活を送る毎日。大会に出場しながら、スポンサーをつけての活動が続きました。そして、23歳でカナダへ。
しかし、前年度から2年連続で、右足と左足の前十字を切る怪我を負ってしまった清水さん。リハビリをすれば、スノーボードを続けることは可能だったものの、心がポキンと折れたといいます。それでもすぐに帰国は考えられず、カナダで手術とリハビリを行うことを選択しました。
カナダから滋賀県へ。正社員として働き、多くを学ぶ。
怪我が治り、今まで通り歩くことができるようになった清水さんが決めたのは、カナダから滋賀県に戻ること。
頭の片隅には、ずっと「実家をいつか継ぐ」との思いがあったそう。また、プロとしてスノーボードの世界で活躍している人と話した際にも「ボードをずっとやっていくなら、保険は一応残しておくべき」と言われたといいます。
自分の場合の保険は、家業やなと思っていました。それに、スノーボードは、ある程度お金を稼げるようになってからでもできる。第一線ではない楽しみ方をするなら、怪我をして精神的に弱っている今じゃなくてもいいなと。
滋賀県にUターンして最初の数ヶ月。今まで遊ぶ時間を削り、アルバイトやスノーボードに費やしていた時間を埋めるかのように、地元の友達とひたすら遊ぶ日々が続きました。
24歳になり、改めて仕事について考えた清水さんが出した答えは「今まで一度も就職をしたことがない。家業を継ぐよりも前に、一度、働いてみよう」というものでした。西浅井から車で20分程度の、福井県敦賀市にあるスノーボードショップの前を通った際に、偶然求人の張り紙を発見。早速電話をかけ、面接を経て採用されました。
ボードを辞めたときは、一生ボードに関わることはないと思っていましたが、改めて考えると自分にはボードしかないなと(笑)最初はアルバイトとして入らせてもらいましたが、3日目に社長から正社員として働くことを打診されました。
「社会人とは?」「正社員とは?」といった疑問符が浮かぶ状態だったものの、引き受けてみることに。しかし、スノーボードショップだけでなく、飲食店も運営する会社だったことから、社員になった以上、飲食店でも働いて欲しいと告げられました。
スノーボードショップで働くつもりだったので「これか、社会っていうのは(笑)」と思いましたね。ただ、家業があることを話していたこともあり、飲食店や他の業種も含め、様々なことを手伝わせてもらえたのは良い経験でした。お金の管理なども含め、本当に多くのことを学ぶことができたなと。
30歳を機に退職した清水さんは、家業である清水建設工業に入社し、今に至ります。
沈んでいる地元を盛り上げたい。地元の友達と祭りの賑わいを取り戻す。
滋賀県にUターンしたときに清水さんが感じた地元の印象は「沈んでいる」といったものでした。特に変化を痛感したのは、長浜市西浅井町からさらに地域を細分化した先にある、大字のお祭り。
清水さんが子どもの頃には、地元の人の出店だけでなくりんご飴などの屋台も外部から呼ぶような規模のお祭りだったといいます。しかし、久しぶりに足を運ぶと屋台はゼロ。子ども御輿は出ていたものの、子ども会が集まってご飯を食べているような空間になっていました。
こじんまりしていて、僕らのときはもうちょっと面白かったのにと思いましたね。これは大人の責任やなと(笑)ただ、みんな年もいって、できなくなるのも仕方がない。地元の友達と喋って、自分らは何ができるやろと話し合いました。
祭りをしよう。3店舗くらい出店して、マジックショーをしよう。子どもたちが面白いと思うようなことをやろうと。これがONE SLASHとしての最初のスタートです。
祭りは大いに盛り上がり、地元の子どもたちも大喜び。さらにお祭りの舞台となった神社からも「こんなに多くの人が、長く神社に滞在してくれたのは久しぶり」と、喜ばれたそうです。
さらに規模を大きくしようと、2017年に始めたのが「西浅井はるマルシェ」でした。日程は、地元のお祭りの翌日。お祭りの実行委員会は6〜7名でしたが、人が人を呼び、マルシェ実行委員は12、3名とおよそ2倍に。25店を超える出店者が集まり、会場を盛り上げてくれました。
元々が狭い地域だからこそ顔なじみが集まり、その結果、自然と輪が広がったと言えそうです。
ONE SLASHの活動は、留まることを知りません。次は角度を変えて、西浅井町以外の人と一緒にやってみようとの話が生まれます。急展開を遂げたのは、岐阜県から長浜市鍛冶屋町へと移住した鉄作家の方との出会いでした。
西浅井には、イノシシや鹿のジビエから美味しいお米など、地元ならではの良いものがたくさんあります。これをPRしようと議論は活性化。さらに作家の方が、イノシシの丸焼きを作る機械をつくってくれることに!
ジビエって、山の命をいただくようなヘビーなテーマでしている人が多かったので、もう少しライトにしたいなと。家族でも参加できるように。じゃあ、B級グルメにしてグランプリ方式にしようと。
それからフィンランド発祥のテントサウナもやってみました。テントの中にサウナの機械を入れて、暑くなったらそのまま雪の中 へダイブ(笑)。モンスターハンターみたいな世界観に合うなと思って。
一番人が来ない季節は、冬。ジビエに脂が乗る時期も、冬。2018年2月4日に開催したのが「西浅井ジビエ村〜2018年2月4日西浅井でジビエグランプリします〜」です。当初は、人がきてくれるかどうか心配したとのことですが、800食、全店舗完売。イノシシの丸焼きにも200人の行列ができ、冬でも人がきてくれることを実感したといいます。
また、ONE SLASHの農業部門「AGLINK(アグリンク)」では、後継者不足による耕作放棄地問題にも取り組んでいます。作っていない田んぼが増えるのは、勿体無い。美味しいお米なのに、昔から作っている人は「普通」と言ってしまうのも勿体無い。
米の美味しさを測ってみたら、100点満点中91点とか出て。これはほんまに美味しいぞと(笑)。AGLINKとしては、20代、30代の7名ほど。今2年目で、無農薬栽培なども少しずつ増やして、お米をつくって販売しています。
ONE SLASHのメンバーには、地域おこし協力隊をはじめ、様々な人がいます。芸大を卒業し、漫画家志望だった人は、現在4コマ漫画を用いたデザイン業を営んでいるそう。様々な個性を持つメンバーが集まることで、得意分野を活かしたり、全員で協力したりと、活動の幅を広げることが可能です。
参考:
ONE SLASH Facebook
滋賀県にUターン後、何をするか悩んでいる人に伝えておきたいこと
最後に、清水さんに次の行動に対して悩んでいる人に伝えたいメッセージをお聞きしました。
僕はまず「何がしたいの?」って聞くと思います。その軸があれば、結構どうとでもなりますよ。その軸は考えておくべきかな。ほんまにお金に困ったら、お米や野菜をつくって食えばいいし(笑)。多分周りにも色々な人がいてくれるし、困っている人を野放しにできないのが滋賀県の人だと思いますね。
多分、帰ってきたいと思うっていうことは、何かがある。それを1回整理したらいい。でも、多分、知らず知らずのうちにみなさん整理していると思いますよ。だからその思いがあれば、なんとでもできるんじゃないかな。
取材を終えての感想
実際お会いして、気負いのなさとフットワークの軽さ、西浅井に対する思いの強さが印象的でした。義務感からではなく、自然と思いを形にしているようなイメージです。また、まちの携わり方も大字・町・外部との連携と、様々な視点があり、これから滋賀県にUターンして、まちづくりに関わろうとしている方にとっても、大いに参考になるのではないでしょうか。
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